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2015年10月19日 (月)

JASRAC問題からべサメ・ムーチョへと

強引に繋ぐ荒業を思いついた。さて、どうなるか…

 

 

エイベックスがJASRAC離脱 音楽著作権、独占に風穴 :日本経済新聞
2015.10.16 (魚拓)

CD販売や放送に伴う音楽著作権の管理を担ってきた日本音楽著作権協会(JASRAC)の独占に風穴があく。音楽最大手の一角、エイベックス・グループ・ホールディングスが同協会に任せていた約10万曲の管理を系列会社に移す手続きを始めた。JASRACから離脱し、レコード会社や放送局から徴収する使用料などで独自路線を打ち出す。

とばし記事かと思っていたが、その後朝日新聞読売新聞毎日新聞なども報じているから本当なのだろう。

司法判断が後押し エイベックスがJASRAC離脱 :日本経済新聞      
2015.10.16 (魚拓)

音楽著作権の管理を巡っては今年4月、最高裁がJASRACと放送局の契約方法について「他業者の参入を妨げており、独占禁止法違反の疑いがある」との判断を示していた。

そういえば独禁法違反、という話もあったっけ。

 

avex group building

 

さて、他業者の参入を妨げているといわれているのがJASRACと放送局の間で結ばれている「包括徴収方式の契約」なのだが、放送事業収入の1.5%(※)を支払えば楽曲を自由に使用できる、ということらしい。

※1.5%といってもJASRACの2014年度事業報告書 (PDF:520KB)などを見ると年間280億(うちCM放送60億)というからたいした額なのだが。

 

もちろん放送局側にもメリットがないわけではなく、JASRAC管理の楽曲に限れば「どの曲を何回使ったか」などという面倒な管理から解放されることになる(かつ、個別に使用料を徴収する方式より割安な価格設定だとか)。とは言っても、どうも公正なやり方ではない。

使っても使わなくても同じ額というドンブリ勘定なら原著作者が正当な報酬を受け取ることが期待できるはずもない。またJASRAC以外の会社に管理されている楽曲が使われにくくなるのは容易に想像できる。前述の訴訟もイーライセンスの提訴によるものだ。

 

エイベックス、JASRAC一社独占市場に風穴:日経ビジネスオンラインを見ると、今回の件はエイベックス傘下のエイベックス・ミュージック・パブリッシング(AMP)が音楽著作権管理業界2、3番手のイーライセンスとジャパン・ライツ・クリアランス(JRC)を統合しJASRACに対抗、という図式らしい。現在売上ベースでは上位5つのレコード会社で6割弱を占めているような情勢らしいから、何社か味方につければ状況は大きく変わるような気がする。

もっとも個人的な意見を言うならJASRACが一概に責められる筋合いはなく、独占体制のぬるま湯の下、放送局等の迎合により原著作者の正当な権利が蔑ろにされてきた、という話のような気がする。今どきのデジタル技術を駆使すれば、いくらでもやりようはあるだろうに。

 

さて、ここまでが前フリ。思ったより長くなったな。

 

more vinyl

 

さて、著作権管理をめぐる闘いは40年代のアメリカでもあった。米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP) vs 放送音楽協会(BMI)がそれである。

当時、既に20年以上にわたって実演権団体として傑出した存在であったASCAPはラジオ局に対して、実際にASCAPの楽曲をどれくらい使うかに関わらず、局の収入に対し定率の著作権使用料を支払う、ブランケット・ライセンス方式による契約の締結を求めた。1939年、ASCAPは、この定率の著作権使用料の大幅引き上げを発表した。全米放送事業者協会 (NAB) は、ASCAPに代わって安価に楽曲を提供する団体として、BMIを設立した。

Wikipedia contributors. "Broadcast Music, Inc.." Wikipedia. Wikipedia, 15 Sep. 2013. Web. 18 Oct. 2015.

まあどこかで聞いたような話ではある。

 

対抗上、BMIはASCAPが見過ごしたり軽視していたブルース、ジャズ、R&B、ゴスペルといった黒人系やカントリー、フォーク、ロックそしてラテン等の音楽の実演権団体としての性格を持つようになる。

このような時代背景で米国外の曲を積極的に翻訳して紹介するような動きもあり、“Bésame mucho”もその恩恵にあずかったといえる。

メキシコの歌手コンスエロ・ベラスケスによって1941年に書かれ、同年にエミリオ・トゥエロに最初にレコーディングされたボレロ風の"Besame Mucho"は、高額のロイヤリティを要求されたアメリカの放送業者と実演権団体ASCAPの間の紛争の受益者であった――ライバル権利団体のBMIはコンテンツ量の差を米国外で書かれた物で埋めることを目論み、この曲をSkylarに渡し英語でリライトさせた。彼の眩暈のするようにロマンティックな翻訳はすぐにクルーナー(=抑えた声で囁くように情感をこめて歌う歌手)アンディー・ラッセルによってレコーディングされたが、"Besame Mucho"が真の意味で人気を獲得したのは、1943年にキティー・カレンとボブ・エバリーをフィーチャーしたジミー・ドーシー楽団がミリオン・セラーをとばしたときであった。その結果の印税収入はSkylarの最初の家の購入資金、そして彼の子供たちを大学に通わせる学資となった

Sunny Skylar | Biography & History - AllMusic から

 

 

もっとも、そういった状況下での翻訳作業は原詞に忠実であることよりは「キャッチーであること」「速やかに納品すること」に重点がおかれていたことは想像しやすい。哀切な別れを歌った"Bésame mucho"がベタ甘ムード歌謡的な捉えられ方をするようになったのはSkylarさんのせいじゃないのか、という気もする。

 

   
Jimmy Dorsey & His Orch. (Kitty Kallen & Bob Eberly). Besame Mucho (Decca 18574, 1943)

 

ふう。何とかベサメ・ムーチョにこぎつけたぞ。

 

ともあれ今回のエイベックスの動きが縮小傾向の音楽業界に何らかの活性化を与えるといいな、と思う。アメリカでの権利団体の紛争は、少なくともそれまでマイナーな立場にあった音楽ジャンルの地位向上という成果をもたらした。

 

↑というような米国の音楽事情について書かれた本ではないかと思う(題名からして)。私は読んでないが

 


ベサメ・ムーチョ関連エントリはこちら
 

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